フィンランド式の食器洗い

フィンランド
keittiö Helsinki 2005
keittiö Helsinki 2005

He took out his kitchen sink and put in Emily Dickinson. The kitchen sink could only start back in wonder. He took out his bathroom sink and put in Vladimir Mayakovsky. The bathroom sink, even though the water was off, broke out into tears.

Richard Brautigan, “Homage to the San Francisco YMCA” (Vogue, 1971)

 台所の流し台をはずすと、かわりにエミリー・ディキンソンをはめこんだ。流し台はまったくわけがわからず、しげしげとこちらを呪み返すばかり。洗面所の流しもとりはずして、そこにはウラジミル・マヤコフスキーを入れた。水は止めてあったのに、洗面所の流しはワッと哭きだした。

リチャード・ブローティガン「サン・フランシスコYMCA讃歌」藤本和子 訳(『芝生の復讐』所収)新潮文庫

フィンランドと日本のちょっとした違いについて、疑問に思っていることがいくつかある。たとえばフィンランドでは、キッチンのシンクが二つわかれているのはなぜか、ということ。フィンランドで自分たちが住んでいたフラットや友達のところなど、シンクはいつも二槽式だった。

二槽式のシンクを使ったフィンランド式食器洗いの手順は、まず一方のシンクにお湯をためて、液体洗剤を数滴たらす。そこへ食後の食器類およびフォークやナイフを可能なかぎり放り込む。柄のついたブラシでゴシゴシとこすって汚れを落とし、もう一方のシンクで蛇口の流水ですすぐ。すすいだ食器をシンクのすぐ上部に設置されている食器棚を兼ねた乾燥棚へ立てかけて完了。

日本ではシンクはだいたい一槽式だと思うけれど、フィンランドではどうして二槽式が多いのか、という僕の疑問に対して、あるフィンランドの友人が彼女なりの解釈を述べてくれた。「昔々フィンランドが貧乏だったころ、食器洗いに流水を使うのはもったいないという考えから、洗いもすすぎも一つの洗い桶だけで行っていた。今では時代は変わって豊かになったけれど、水を大切に使う節約の精神がなんとなく残っていて、それが現代において二槽式シンクとなった所以なのである」と。ようするに蛇口の流水がもったいないということなんだろう。

そう言えば、アキ・カウリスマキの映画『マッチ工場の少女』で少女役のカティ・オウティネンが青い琺瑯のボウルに水をためて、赤い柄のついたタワシでガチャガチャと食器を洗うシーンがある。とてもつまらなそうな顔をして食器洗いをしていたのが印象的なシーンだ。別の場面で天安門事件のニュースがテレビから流れているから、時代設定は1989年なのだろう。日本では平成元年。バブル時代の真っ最中だ。

僕が初めてこの映画を見たのは名古屋シネマテークで、たしか1990年代の前半だった。そのころ日本のバブルはすでに崩壊していたが、映画の中のフィンランドという国は、日本とは比較にならないぐらい、なんと貧しいところなんだろうと、少なからず驚いた。もちろん映画と現実は違う。アキ・カウリスマキの映画は、人間の本質を現代のフィンランドをとおして、とてもペシミスティックなおとぎ話として映し出してみせる。

「現代のフィンランド人が水を大切にするのは、節約のためというより自然環境のことを考えてのことである」などという立派な意見も耳にするが、フィンランドの友人たちを見ていると、彼らは自分たちの身体を洗うのには、シャワーをそれこそ湯水のごとく使っているように思える。水を節約する精神はどこへいってしまったのだろう。

アキ・カウリスマキの『過去のない男』の中で、コンテナに住む男性が、子どもらに屋根の上からお湯を注いでもらってシャワーを浴びる短いシーンがある。『マッチ工場の少女』の食器を洗うシーンとともに、カウリスマキっぽくて味わいのある、いい場面だと思う。

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『マッチ工場の少女』に出てくる琺瑯のボウルは、フィンランドのマタニティ・パッケージのアイテムの一つだそうだ。主人公のIirisが生まれたときに、お母さんがもらったものなのかもしれない。そうやってこのシーンを見ると意味がつながってくる。メーカーはたぶんWärtsilä。


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