
「本を読んでいて読めない漢字が出てきたら、辞書を引きなよ」と、僕がまだ子供のころから(たぶん10才ぐらい)、六つ年上の近所に住む従兄弟のH君に口癖のように言われていた。だからというわけではないと思うけれど、未だに読めない漢字を見つけると辞書を引く習慣がある。
フランスの小説家、ピエール・ガスカールの短編小説「小さな広場」を読んでいたら「膕」という漢字がでてきた。
ぼくはよく彼女の通り道で土いじりをしていたので、彼女の踵が顔すれすれに土を踏みしめたり、黒いスカートがひるがえって細い膕が見えたりした。パン屋の女房は、めったなことではいつもの通り道をそれなかった。危うくぼくを跨ぎそうにもなった。
ピエール・ガスカール「小さな広場」佐藤和生 訳 (『太陽―他 ピエール・ガスカール作品集』所収)創土社
La petite place: Pierre Gascar from Soleils
脚のどこかなんだろうけれど、実際どの部分だろうか、なんと読むのだろうか。そんなことが小説の内容とは別に気になってしょうがない。とりあえず小説を読み終え、手元に常備している新明解国語辞典の第五版(小型版)を引いてみるとちゃんと載っていた。
ひかがみ [膕] ひざの後ろの くぼんだ部分。
新明解国語辞典 第五版 三省堂
月偏と旧漢字の國を旁に書いて、ひかがみ、と読む。「小さな広場」の語り部である少年が見たものは、「危うくぼくを跨ぎそうにもなった」パン屋の女房の「ひざのうしろの、くぼんだ部分」だったのか、ということがわかってちょっとドキドキした。
ピエール・ガスカールは、子供の目線がとらえた世界をとても活き活きと、妙に生々しく生々しく描写する。大人の姿、事情を子供の眼で見ている。それを大人になったピエール・ガスカールは、そのまますくい取って描出する。
ピカソがその生涯を通して追い求めたのは、子供のころに見て感じたものをそのまま絵に描くことだったと聞いたことがある。また、舞踏家の土方巽も、物心ついた子供のころ感じた刹那の驚きを、踊ることを介して取り戻そうとしていた、というようなことを『病める舞姫』の中に記している。
子供のころ、辞書を引くことを勧めてくれた従兄弟のH君は鬼籍に入って久しいが、本を読んでいて知らない言葉や漢字を見つけるたびに、「辞書を引けよ」という彼の言葉が、人なつっこい顔とともに活き活きと思い出される。
辞書を引くのは単に知識のためだけでなく、かつて兄のような存在だったH君の記憶を生々しく呼び起こすきっかけになっているのかもしれない。
ピエール・ガスカールは日本では大江健三郎に影響を与えたというようなことを、どこかで読みかじったことがあるけれど、どんな影響なんだろう。

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