トルトゥリエと銀杏、ペレーニとグヤーシュ

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kaironkatu Helsinki Finland 2006
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葱買て枯木の中を帰りけり

与謝蕪村

チェロを習っている同年代の友人がいる。 彼女の好きなイッセー尾形がチェロを習い始めたことに影響され、20代の頃から趣味として、かれこれ20年間ほど名古屋在住のチェリストの元へコツコツとレッスンに通っている。

そのチェリストがお気に入りのポール・トルトゥリエを彼女から勧められ、比較的廉価な赤い色のCDボックスセットを数年前に買い求めて以来、少しずつ聴いている。

なかでも好きなのが、バッハの《無伴奏チェロ組曲》だ。特に秋になると無性に聞きたくなる。トルトゥリエの演奏は、パリジェンヌが初秋のパリのイチョウ並木の下、黄色い落ち葉の上を、スニーカーで軽やかにサクサクと散歩しているようであり、口にするとほろ苦く、モッチリとした歯ごたえのギンナンのようでもある。

ただ、イチョウの葉もすっかり落ちきった、初冬の冷たい空気の中をのそのそと歩いていると、シューベルトの《アルペジオソナタ》や《ピアノ三重奏曲》が聴きたくなってくる。すると、どうもトルトゥリエがしっくりこない。(それに《ピアノ三重奏曲》は、そもそもこのボックスセットには含まれていない)

子供の頃、友達と走り回って遊んでいて、いつの間にか暗くなってしまった冬の夕暮れ時に、夕食の支度をする家々の窓から漏れてくる光と、味噌汁や鍋、あるいはクリームシチューの美味しそうな匂いをかぎつつ、一人ぼっちで家路を急いでいる、そんな感覚が喚起されるような演奏はないだろうか。

ぼくの勝手な思い込みなので、こんなことをチェロを習っている彼女に尋ねてみよう、などとは思わない。自分の直観を頼りにすると、そのような音楽がフランスのパリではなく、ハンガリーのブダペストの路地にあるような気がして、ハンガリー人のミクローシュ・ペレーニに目(耳)をつけてみた。味噌汁はなくても、ハンガリーには温かいグヤーシュもあるのだし……。音楽よりもグヤーシュが食べたくなってしまった。