雨の味見

フィンランド
Näsijärvi 2003
Näsijärvi 2003

ところが祖母の方は、どんな天気であっても、土砂降りのときや、あるいは柳で編んだ大事な肘掛椅子を濡らすまいとしてフランソワーズが大あわてでそれをとりこんだときでも、だれもいなくなって雨にさんざん叩かれている庭に出て、身体のためになる風や雨をもっと額にしみこませるために、乱れた灰色の髪をかき上げるのであった。「ああ、ようやく息がつける!」と彼女は言う。

マルセル・プルースト『失われた時を求めて 第1篇 スワン家の方へ1』鈴木道彦 訳 集英社

フィンランドでの国民学校生活が始まったばかりの、九月初旬のある日。午後のkahvi tauko(コーヒーブレイク)のあと、フィンランド人の学生たちと広場でたむろっていると、突然、風がざぁっと吹いてにわか雨が降り出した。

小雨ではあったものの、建物の軒先に身を寄せようとする者はおらず、ただその場で天を仰いだりして、それぞれ気持ちよさそうに、雨にうたれるまま身を任せていた。

雨はすぐに止み、澄んだ空気が湿った森の匂いを運んできてくれ、空気が乾燥しているからなのか、濡れた服もあっという間に乾いてしまった。

その時、フィンランドを深呼吸したような気がして、「ここはフィンランドなんだなぁ」とあらためて実感した。あのときの顔を叩く雨粒や木々のあいだを吹き抜けるときのざぁざぁいう音は、今でも皮膚や鼓膜の深いところにとどまっていて、自分を成り立たせている要素のかなり重要なポジジョンを占めているような気がする。

ところで、当時は「北欧の酸性雨」が問題になっていたような記憶がある。最近は「二酸化炭素」とか「地球温暖化」が流行っているが、酸性雨はどこへ行ってしまったのだろう。酸性雨は酸っぱいのだろうか。あのとき、フィンランドで雨の味見をしておけばよかった。


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