3分間のポップソング、3年間のフィンランド

フィンランド

高校一年の冬休みと春休みの間のあるときから、THE SMITHS(ザ・スミス) のアルバム “MEAT IS MURDER” を、30年以上たった今でもときどき聴いている。抑揚の少ないモリシーの声、それにジョニー・マーの魅力的なギターサウンドは、それまでよく聴いていたビルボードのヒットチャートに登場するどんな曲ともちがい個性的で新鮮に響いていた。歌詞にも興味があったけれど、当時買ったCDには英語の歌詞はあったが日本語訳はなく、自分で辞書をひきながら聴いていた。

アルバムの一曲目、”THE HEADMASTER RITUAL”の冒頭、”Belligerent ghouls”の意味がわからなかった。高校で推奨されていた研究社の新英和中辞典第四版にはBelligerent はあったが、ghoulsという単語がのっておらず、いてもたってもいられず、名古屋にある正文館書店(東片端)という、わりと大きな書店まで自転車で出かけて行って、2階フロアーの英語辞書の棚で、分厚い英和辞典を立ち読みして調べたことを覚えている。

親や学校の先生たちから波状的に押し寄せてくる人生観、「良い大学」を卒業し、「良い企業」に入り、「良い生活」をする以外に進む道はないんだと思い、「どうにもならない」「長く孤独な」人生を思い、11月のフィンランドのような暗澹たる思いを抱いていた「不器用で内気な」16才のころの自分にとって、学校にはいたくない、教育あきらめた、すみません体育を休みます、なんてことをさらりと、モリシーが私的に語りかけてくる(ように感じられた)「3分間のポップソング」は、僕にとっては読書と同様、ほんの少し立ち止まることのできる大切な個人的な時間だった。

その後、既定路線らしき道を自分なりに無理して進んでいたが、あるときそれを全部やめて、結果的に3年ちかくフィンランドで立ち止まることになった。おかげで見栄えはともかく、それなりに人間的な表情を取り戻すことが出来たと思う。スミス(あるいはモリシー)のポップソングと同様、3年間のフィンランド生活は、自分自身を回復するために必要な時間だった。

1月のこの時期になるとなぜか無性にスミスを聴きたくなるのは、大学入試のニュースを見て、10代のころの「どうにもならない」気分をぼんやりと思い出すからなのかもしれない。一度、偏差値やセンター試験を止めてみてもいいのに。「反偏差値」とか「脱センター試験」などというのはどうだろう。

ところでフィンランドにも日本における大学入試のようなものがある。うちの奥さんが、ダメ元でトゥルクの美術大学を受験したことがあった。なんとか最終選考の教授たちによるインタビューまで進んだけれど、あと一歩及ばなかった。フィンランド式(たぶんEnnakkotehtävät, Pääsykoeと呼ばれるもの)も大変だが、実際はどうなっているのだろう。フィンランドと日本の受験や教育システムについて、だれか比較研究してくれるといいのだけれど。

Korkeakoulujen yhteishaku

Radioheadによるカバーも悪くない。

Radiohead play The Smiths
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