ヴェサと幸せのOrigami

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vesa and his girlfriend 2004 Finland

フィンランドの国民学校で学生生活を始めて半年ぐらいたったある日、同級生のフィンランド男子に請われて、折り鶴の折り方を教えたことがある。美術大学へ提出する入試用のポートフォリオとして折り鶴の静物写真を撮影したいからと、英語が苦手なのも手伝ってか、それまであまり話しかけてこなかった物静かなヴェサが、珍しくぼくの部屋のドアをノックしてきた。

「折り鶴は幸せを引き寄せるんだよね」と彼の目がキラキラとしている。どこで聞きつけてきたのだろう。妙なことを期待されても困る。ともかく、こんな事もあろうかと日本から持参していた折り紙を供出して、早速、折り鶴にとりかかったのだが、はじめの一歩からつまずいてしまった。正方形の紙の角を揃えて、折り目正しく半分に折ることがヴェサにはどうしてもできないのだ。

はじめから細かいことを気にしてはいけない、と彼に対してというより教える立場の自分に言い聞かせてみても、全行程の第一折り目で5ミリ程度のズレを無視して進むわけにはいかない。これを見逃していたのでは鶴にはならない。指先で折り目をつけると言うよりも、パタンパタンと指の平で紙を扱うヴェサの指先からは、セロニアス・モンクが演奏する《Don’t blame me》や《Monk’s Point》が聴こえてくるようだった。

それでも一度は最後まで折ることを試みなかったわけではないが、案の定、道半ばで行き詰まってしまう。折るほどに鶴から遠ざかっていき、何か未知の造形物に向かっていく。ぼくにとって簡単なことが、ヴェサにとってはほとんど不可能に近いことだったのだ。

何度かやり直してみるのだが、どうしてもできない。温厚だが短気な気性のヴェサがだんだんイライラしてくる。彼にとっての、おそらく人生で初めての折り紙で挫折感を味わって欲しくないし、そのことで日本文化全体に対する否定的な印象を持ってほしくなかった。結局、ぼくがその場で折り鶴を完成させ彼に手渡した。正方形の紙が鶴の形を成す過程を目の当たりして、ヴェサは驚き、喜んでくれた。

ただ、セロニアス・モンクのような辿々しい指づかいが折り成す、ゴツゴツとしたタッチの造形物には、なめらかでどことなく平面的な、折り目正しい折り鶴にはない異次元の魅力があった。ヴェサの背後に自分とは異質の文化的バックボーンがあるのだ。

それにしても、善し悪しは別として、紙をきちんと折ることについて指先の不器用なのは、個人の資質の問題だけではなく、汎くフィンランド人に当てはまるのではないか、という疑念が、その後の度重なる類似の体験を経て深まっていくことになるのだが、その端緒となる出来事だった。

ぼくは特別の訓練を積んだわけでもないし、指先が器用というわけでもないはずなのに、それなりに折り紙を折ることができるのは、日本人として平面のものを「折り・たたむ」伝統的な日本文化が、子供の頃から反復してきた身振りとして、知らず知らずのうちに身体に染み込んでいる証拠なのかもしれない。

その後、折り鶴の静物写真ポートフォリオは志望大学に発送されたが、残念ながらヴェサは二次選考に進むことはできなかった。でも、初夏になって1年間の学生生活が終了し、そこで出会った彼女と新たな人生に向かって出発して行くときのヴェサは幸せだったはずだ、だぶん。

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